オープンハウス社長・荒井正昭氏はどんな人物?経歴をご紹介!

荒井正昭氏は、32歳の時にオープンハウスを創業した人物です。

 

「東京に、家を持とう。」というキャッチコピーで有名になったオープンハウスは、東証一部上場の不動産会社で現在は都内だけでなく名古屋や福岡といった地方都市や、海外への事業展開も進めています。オープンハウスの社長である荒井正昭氏は、不動産会社に勤めた後に起業し、現在の会社へと発展させていきました。

今回は、そんな荒井正昭氏がどのような人物なのか、これまでにどのような人生を歩んできたのか、オープンハウスがどのような会社なのかご紹介していきましょう。荒井正昭氏がどのような人物なのか気になる、オープンハウスが創業されてから事業がどのように発展していったのか知りたいという方は、ぜひ参考にしてみてください。

荒井正昭(オープンハウス社長)の人物像

荒井正昭氏は、オープンハウスの社長を務めている人物です。まずは、荒井正昭氏がどのような人物なのかご紹介していきましょう。

中学生の頃は司法書士を目指していた!

荒井正昭氏は、昔から変わっていると言われていたそうです。荒井正昭氏が生まれた頃は、将来はお金持ちになりたいと考えることが当たり前でした。そのような時代だったということもあり、中学生の頃には「年収は5,000万円、結婚は22歳までにする」という明確な目標を決めたいたのです。

実家は不動産業を営んでいて、父親は週2日しか働いていなかったと言います。それでも裕福な暮らしができていたので、荒井正昭氏自身もサラリーマンとして働くという発想はありませんでした。そして、18歳からは上京して予備校に通いますが2浪してしまい、母親からは帰郷を促されます。

それでも荒井正昭氏は、田舎に帰りたくないと思い、アルバイト生活をした後に不動産会社の営業職として勤めることになります。この会社は歩合制だったため、司法書士を目指すための学校へ行く学費を貯めようと思ったそうです。

成長が楽しくて働き続けるも…

当初は学費を貯めるために働いていたのですが、仕事に楽しさを見出して10年間勤めました。しかし、そこでの成長に限界を感じた荒井正昭氏は自らオープンハウスを設立し、独立します。負けず嫌いな性格の荒井正昭氏は、オープンハウスを大きな会社へと成長させたい、前に勤めていた会社より1店舗多い会社にしたいと思っていました。不動産流通の世界的ネットワークである『センチュリー21』に加盟していたのですが、その中の加盟店の中で1位になることを5年で実現しようと考えていました。

しかし、予想よりも早い3年で全国1位になったのです。その次の目標にしたのが、不動産業界で日本一の企業になるということです。荒井正昭氏が1位にこだわり続けてきた理由は、やればできることを証明したかったからだと言います。やる気があれば、自分自身の人生を開拓することができるのだということを証明できました。

成長することの楽しさを伝えていきたい

荒井正昭氏は自分自身の成長体験を基に、多くの人にその楽しさを伝えたいと考えています。採用をする際にも学生の本音が見えないような形式ばった面接をするのではなく、フランクに接すると言います。もちろんそのような対応をしても、心を開いてくれる学生は多くありません。

しかし、オープンハウスに入社して良かったと思ってもらえるような対応をしていきたいと考え、面接の仕方は変えていません。また、仕事をしている中でも社員と本音で話します。それが成長へとつながっているのです。これは、「目の前の社員が幸せで、その家族が幸せであってほしい」という思いを荒井正昭氏が持っているからだと言えるでしょう。社員が成長するということは、会社の成長にもつながります。そして、それは顧客満足度の向上にもつながっていくことになります。

このようなことを踏まえると、オープンハウスの事業が成功しているのは、荒井正昭氏の人柄があったからこそだと考えることもできるでしょう。

オープンハウスの社長である荒井正昭氏は、中学生の頃には「年収は5,000万円、結婚は22歳までにする」という明確な目標を決め、人生設計をしていました。この考えは、今の荒井正昭氏にも結び付いている部分があり、その結果成功を収められたのではないかと考えられます。成功するためには、努力ももちろん必要となりますが、どんな人物なのかもとても重要なポイントになります。オープンハウスの社長である荒井正昭氏は、それを私たちに伝える経歴を持っている人物でもあるのです。

23歳でユニハウスのトップ営業マンに

荒井正昭氏は、23歳の時にユニハウスという不動産会社に就職します。続いては、ユニハウスがどのような会社なのか、当時の荒井正昭氏はどのような考えをもっていたのかという点に焦点を当ててご紹介していきましょう。

ユニハウスはどのような会社なのか

荒井正昭氏が23歳の時から働き始めたユニハウスという会社の概要から見ていきましょう。

ユニハウス 会社概要
ユニハウスは、2014年3月に設立された会社で、従業員数は20名です。
主な事業内容は、自社開発をした一戸建住宅の販売、各不動産の仲介となっています。
本社の営業センターと自由が丘営業センターの2つの事業所があり、本社は東京都品川区にあります。

ユニハウスのホームページでは、物件の検索や新着物件情報などが発信されていて、非常に情報を集めやすくなっています。自社開発をした一戸建住宅の販売と各不動産の仲介を行っているため、掲載されている物件の数はとても多くあります。「都心に一戸建ての我が家を構える。」という願いを持つ顧客に寄り添ったサービスを提供しているため、ネットワークも充実しています。ネットワークを駆使することによって、豊富な情報を提供することができているのです。それがユニハウスの強みだと言えるでしょう。

最初は司法書士の専門学校へ通うための資金調達が目的だった

荒井正昭氏は23歳の時にユニハウスで働き始めました。働き始めた当初は、先ほども書いたように司法書士の専門学校へ通うための資金調達が目的でした。そのため、ずっと働こうとは思っていなかったはずです。しかし、仕事をすることの楽しさに目覚め、10年間働き続けたのです。これは、自分自身が成長していくことと、会社が成長していくことの楽しさを実感したからだと言います。楽しみながら仕事をしていた荒井正昭氏は、トップ営業マンにまで上り詰めます。元々、父親の背中を見て育ってたため、サラリーマンは向いていないと自分自身でも思っていたようですが、トップ営業マンに上り詰める実力を持っていたということにこの時気が付きます。

なぜそれだけの結果を残せたのかというと、荒井正昭氏の負けず嫌いな性格が大きなポイントになっているのではないかと考えられます。営業マンは、同僚や先輩、後輩と張り合っていかなければいけない場面があります。そのような場面で負けず嫌いな性格を活かすことができれば、他の人には負けないような営業マンになれる可能性が高くなるのです。負けず嫌いな人は、少しでも他の人より上に行きたいという思いを抱くため、トップ営業マンになることができたのではないでしょうか。

トップ営業マンになることは簡単なことではありませんが、将来的な展望もしっかりとしていた荒井正昭氏は、それを実現できたということになるでしょう。このことから、しっかりと未来を見据えることの重要性が分かります。もしも荒井正昭氏が、将来の展望をしっかりとできていないければ、今のような成果は残せなかったかもしれません。幼いころから明確な目標を立ててきたこと、就職先で自分の実力を発揮して成長できたことが荒井正昭氏の人生を良い方向へと導いたと言えます。

荒井正昭氏は、サラリーマンとして働く気はありませんでしたが、実際に働き始めてみるとその楽しさに気が付きます。そしてそれは、荒井正昭氏自身の成長にも大きな貢献をしたことになるのです。もちろん起業をすることでも成長することはできますが、就職することで学べることも多くあります。この時期の経験が、オープンハウスの経営にも活きているのではないでしょうか。従業員としての視点、経営者の視点の両方を持ち合わせているのは、かなり魅力的です。

32歳でオープンハウスの創業者に

平成9年、荒井正昭氏が32歳の時、オープンハウスは誕生しています。続いては創業者になってからどのような取り組みを行ってきたのか、ご紹介していきましょう。

人材戦略で成長してきたオープンハウス

オープンハウスが成長してきた理由として、荒井正昭氏は人材戦略が功を奏したと語っています。具体的にはどのような人材戦略を行ってきたのでしょうか?

・年間採用者数は200人以上
オープンハウスでは毎年営業・企画、建築・技術、営業支援の職種で合計200人以上を採用しています。近年は少子高齢化の影響によって大卒者の数も年々減ってきており、不動産業界でも新卒採用に慎重になっている企業は多く見られます。しかし荒井正昭氏はなぜ200人以上もの採用者を出しているのでしょうか?

その理由は、将来のことを見据えた人材採用だったからです。少子高齢化によって若者が年々減っているということは、将来的に若者はどんどん少なくなることを指しています。つまり、現在でも起きている売り手市場が覆ることはなく、若者から選んでもらえるような会社にならなくては、人材は入ってこないのです。

企業が運営できるのは人材がいるからこそだと言えますが、将来的に若者がいなくなってしまうことも考慮し、現段階から人材を確保しようという考えがあっても、それを実際に行動に移すことは非常に難しいでしょう。荒井正昭氏は将来のことも考えた人材戦略を行っていくことで、オープンハウスのさらなる発展を目指しているのです。

・人材のやる気を引き出す制度と環境
若い人材をたくさん採用したとしても、すぐに辞めてしまっては意味がありません。社員に対してやる気を引き出せるような制度と仕事環境があるからこそ、オープンハウスでは多くの社員が活躍しているのです。まず、報酬制度ですがオープンハウスでは年次を問わず頑張った人が報酬と昇格のチャンスをもらえる実力主義の人事制度を作っています。

例えば、1年目であってもしっかりと好成績を収めていれば、報酬はもちろん将来的に昇格するチャンスが与えられるのです。中には新卒2年目にして最高年収が1,050万円まで達した人もいます。また、福利厚生に関しても充実した内容になっています。

子育て世代でも働きやすいように就労スタイルを5パターンから選ぶことができたり、キャリアアップのために取得した資格に対して報奨金が用意されていたり、マイホームを購入する時の仲介手数料が大幅割引になったりと、多くの方が働きやすいと感じられる環境づくりがなされているのです。

最初から全てこのような環境が整っていたわけではないかと思いますが、創業者である荒井正昭氏は人材が会社の宝であり重視すべきと考え、このような取り組みを行っているということが分かりました。

新たなビジネスモデルを採用し、名誉ある賞も受賞

不動産業界というのは様々な規制があることで、企業の成長スピードもゆっくりになりやすいと言われています。そんな中でオープンハウスは驚異の成長率を誇っているのです。なぜ、これほどまでに成長することができたのかというと、その理由として新しいビジネスモデルが関係していると考えられます。オープンハウスでは様々な業務を自社で行い、スピード感のある不動産業務を行っています。

例えば一般的な不動産企業で数十億円以上の土地を買おうと考えた場合、かなり時間を掛けて売るか売らないかを決めていきます。大金が動く時は不動産業界に限らず、他の業界でも時間を掛けて吟味することでしょう。しかし、オープンハウスはその日に出た事柄はその日のうちにどう動くかを決めることを鉄則としています。そのため、もし上記の土地を買おうとなったら、その日のうちに役員会議を開き売るかどうかを判断します。これによってかなり早いスピードで土地を売却することができるのです。

土地を売るスピード感は、これまでの不動産業界に革命を起こしたと言っても過言ではありません。このイノベーション力が認められ、2016年にポーター賞を受賞する結果となりました。ポーター賞は企業の独自性を認め、競合他社に負けていないかどうかを判断してくれます。受賞したということは、不動産業界に新しい独自性を生み出したことが認められているのです。

「東京に、家を持とう。」で一躍有名に

オープンハウスのキャッチコピーである「東京に、家を持とう。」は、一般の消費者にはもちろん、不動産業界にもインパクトを与えました。一戸建てを持つというのはいつの時代でも憧れの対象に挙げられるものです。マンションなども良いですが、やはり自分だけの、こだわりの家を持ちたいと考える方は多くいらっしゃるでしょう。ただし、東京のように人口が密集していて、なおかつ土地の価格相場が高いところでは自分だけの一戸建てを持つというのはかなり大変なことです。

そのため、以前までは「東京の郊外に広々とした庭付き一戸建てを持つ」ということが憧れの対象となっていましたし、実際に不動産会社では都心はマンションやアパート、郊外に戸建てという布陣で販売されていました。オープンハウスの場合、キャッチコピーからも分かるように東京都心に一戸建てを建てることに着目しているのです。

なぜ東京で一戸建てを持つことを重視したかと言うと、家を持ちたいと考える消費者のニーズと生活環境の変化が考えられます。一戸建てを持つ家族として多く見られたのは、夫は仕事に出て、その間妻が家に入り家事・育児を行っていくというものでした。

もちろん、現在でもこのような形の家族はいるかと思いますが、リーマンショックによって日本経済に大ダメージが与えられた後からは夫婦が共働きをする形が一般的になっていったのです。共働きになるということは、郊外に家を買ってしまうとその分通勤に時間がかかり、家事や育児などに取り組める時間が少なくなってしまいます。

そのため、共働きの家族はできるだけ職場から近い住居を選ぶようになっていったのです。実際、リーマンショックが起きた2008年は不動産業界も大きなピンチを迎え、なかなか不動産が売れなくなってしまいました。

しかし、そんな時でもなぜか目黒の物件だけは売れていったのです。この理由として考えられるのは、目黒が都心で職場からの通勤しやすかったことが考えられます。これからの時代は郊外に家を建てるよりも、できるだけ職場から近く、通勤時間がかからない場所にニーズがやってくると、荒井正昭氏は確信しました。

東京に家を持つのは高年収の人しか難しいという考えから、ちょっとした工夫で普通の人でも東京に家を持つことができるということを事業に取り入れていったのです。

オープンハウスが”東京の家”を身近にできる理由

「東京に、家を持とう。」というキャッチコピーで一躍名が知られるようになりましたが、なぜオープンハウスは東京の家を身近なものにすることができたのでしょうか?

・土地の仕入れ

東京の家を購入する際には土地も購入する必要がありますが、東京の場合この土地代にかなりの金額がかかってしまいます。しかし、オープンハウスでは変わった形の土地から線路沿いにある土地など、値段があまり付かないような土地を積極的に仕入れていったのです。他の不動産会社からしてみれば「どうして?」と思われてしまうかもしれませんが、これも顧客のニーズを重視しているからこそだと言えます。

顧客のニーズはこれまでよりもずっと合理化になってきています。例えば住宅といえば四角いイメージがあるため、土地も四角でないと売れないという考えがありましたが、三角形でも仕事場から近ければ問題ないという考えが増えてきているのです。不動産業界はどうしても先入観にとらわれがちなのですが、オープンハウスはできるだけ若い人にヒアリングし、人気の場所や不動産に対する考え方などを取り入れています。

・狭小地でも3階建てという魅力

狭小地の場合、どうしても間取りの狭さに購入を思い悩む方は多くいます。郊外にある住宅も2階建てが一般的ですが、オープンハウスでは狭小地でも快適な生活スペースが確保できるよう、3階建ての戸建住宅を提供し続けています。狭小地でも3階建てというと、その言葉だけでも広いイメージを与えてくれますし、実際に3階建てにすることで採光・採風の問題点を解消したり、ライフスタイルに合わせた間取りを作ることもできるようになります。こうした魅力から東京の家を選ぶ人が増えていったのです。

オープンハウスでは時代と共に変わってきた顧客のニーズもしっかりと受け止め、事業や商品に反映させています。今後もオープンハウスが作り出す“東京の家”は、注目されていくことでしょう。