皆さんは「千光寺」というお寺をご存知でしょうか? 千光寺は南紀白浜にあるお寺で、最近ではインスタ映えスポットとしても注目されています。 そんな千光寺で住職を務めている上野玄津氏に対し、 マネーの虎という番組に出演していた上野健一氏なのではないか? という噂が立っています。この噂は本当なのでしょうか? 今回は、千光寺の住職である上野玄津氏とマネーの虎にも出演していた上野健一氏が、 同一人物なのかどうか噂の真相に迫ってみました。 上野玄津氏や上野健一氏について調べている、噂が本当かどうか気になっているという方は、 ぜひ参考にしてみてください。
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インスタ映えスポットがある!若者にも人気の千光寺について
インスタ映えで話題のお寺「千光寺」は、お寺でありながらも若者に人気の観光スポットとして様々なメディアで取り上げられています。 南紀白浜の観光モデルコースではオシャレ度の高いおすすめコースとして紹介されており、 多くの人が訪れるようになりました。 空海や真言宗、巡礼を身近に感じられるような工夫を随所に施した千光寺は、 綺麗に整備された境内に金色に輝く美しい仏像や灯篭が並んでいます。 空海のテーマパーク的なお寺としても知られ、国内外から多くの旅行者が訪れて、 古き良き日本の文化を感じながらプチお遍路や願掛けを行う姿が見られます。 不思議なパワーが宿ると伝えられている金剛霊力岩は、古から修験者たちが不動明王の真言を唱え続けたことで強大な霊力を持つようになり、人々の願いを叶える力を宿していると言われています。 千光寺の金剛霊力岩は、金運・勝負運・結婚運などの願いを込めながら少し削り粉を紙に包んでお守りにできます。 参拝順路の途中には、煩悩を捨てる「煩悩捨壺」があり、取り除くのが難しい煩悩を捨てる手助けをしてくれるでしょう。大きな壺の前に立ち、心の中にある嫉妬・物欲・見栄・愚痴・怒りなどの煩悩から、1つを捨ててみてください。 南紀白浜温泉にほど近い千光寺は、様々な工夫を施して訪れる人を迎える空海ゆかりのお寺で、 多くの人が思い思いの時間を過ごす場所となって親しまれています。
「空海に導かれた」千光寺住職上野玄津とは何者?
現在、千光寺の住職は上野玄津氏が務めています。 住職を失った後そのまま放置されていた寺を、空海に導かれ高野山から僧侶を招いて整備し再興したという経緯があります。住職の上野玄津氏は、若い人にも空海との縁を結んで欲しいという願いで千光寺で仏道を歩んでいます。 上野玄津氏が空海に導かれて歩む悟りへの道をみてみましょう。
■上野玄津氏の生い立ち
1961年2月21日、上野玄津氏は沖縄県浦添市で生まれ、米軍で働く父の影響で言葉の通じないアメリカ人と交流する機会が多い環境で育ちました。 言葉が通じない相手と、自然とテレパシーを使ってコミュニケーションをし始め、沖縄のユタと呼ばれる霊能者からは特殊能力の持ち主であることを指摘されています。
■仏門への道
上野玄津氏は1985年、大阪吹田垂水神社・垂水不動尊で密教の法力を体験し、「空海」の真言密教の修行を始めました。 1994年には、高野山真言宗第408世管長並びに竹内崇峯大僧正より僧名「玄津」を賜っています。 翌1995年、真言密教を兵庫県姫路成田山明勝寺にて、中院流・四度加行を割行により出家得度を受けました。
■上野玄津氏が賜ったもの
悟りの道を歩む上野玄津氏は、様々な称号などを賜って活動を続けています。 1994年には僧名の「玄津」を賜り、1997年には僧階「権律師」教師資格を賜りました。 同1997年に兵庫県霊峰・雪彦山の麓に千光寺総本山本堂を再興して管長に就任し、 「世界人類平和祈願の鐘」建立推進委員会事務総長として活動しています。 僧階については、2001年に「権大僧都」を、2007年に「阿闍梨」を賜っています。 その後、2017年にロサンゼルスにあるアメリカ国際学士院大学にて宗教哲学博士号を受けて客員教授になりました。 そして2017年に南紀白浜町の千光寺を再興させています。
■仏門に入ったきっかけ
上野玄津氏は仏門に入ったきっかけについて、千光寺のWebサイトで次のように語っています。
会社を興すために尽力していた21歳の時、寝る時間を削り無理をしながら働いた過労がたたり、喘息に悩まされる日々を過ごしていました。 ある日、大阪府吹田にある垂水神社にお参りした際に格子戸の中で不動明王様が憤怒のお姿で仁王立ちをされており、傍らの真言を声に出して唱えたところ、不動明王の御慈悲を授かったような心地よさを感じました。 夢中で真言を唱えていると、不動明王の霊力に体が反応し始めて、霊感が湧きおこってくる感覚が訪れて、迷いや苦しみから解放されるという不思議な体験をして、気づいたら苦しかった喘息の咳が止まっていたのです。 不動明王のお力を体験したことが、空海の真言密教と始めての出会いとなり、仏門を歩むきっかけとなりました。
幼い頃から特殊な霊力を授かっていた上野玄津氏は、体調を崩し辛い中で空海に導かれて仏門に入り、現在、千光寺の住職をして多くの人を導く存在となっています。
「上野玄津」はあの「上野健一」と同一人物って本当?まずは上野健一について調査。
空海に導かれ仏門に入った1961年2月21日生まれの上野玄津氏は、21歳で会社を興すべく尽力し若くして経営者となった人物でもあります。 そんな上野玄津氏と同じ誕生日の経営者に「マネーの虎」で有名となった上野健一氏という人物が存在し、同一人物ではないかと言われています。 上野玄津氏と同一人物なのかを検証するために、まずは上野健一氏について調べてみましょう。
■上野健一氏とは
実業家として数々の実績を残したことで知られる上野健一氏は、 テレビ番組の「マネーの虎」に出演し一躍有名になりました。 起業家を目指す人に対する様々なアドバイスは名言として多くの人に影響を与えています。 上野健一氏は24歳で独立し、ログハウス村づくりをするための土地開発システム「CCZプロジェクト」を発表して注目を集めました。 上野健一氏の「CCZプロジェクト」は、休眠分譲地の再開発・再整備に関する事業展開で大きな話題となっています。 20代という若い経営者だった上野健一氏はログハウスの輸入建築、販売、そして外食産業などを含めて年商100億円を稼ぐ企業を作り上げたのです。
■阪神淡路大震災と上野健一氏
大物実業家であり「マネーの虎」で知られる上野健一氏は、阪神淡路大震災を経験しています。 店舗は被災し数々のトラブルが発生したものの、経営には陰りはなく、神戸市そして寺院などの復興や復活に精力的に取り組んでいきました。 震災を経験し、土地や会社が再生するために求められる新システムを開発し、街づくり事業への参入を本格化させています。 2001年には株式会社ZKRを設立し、不動産事業だけではなくリゾート会員権販売事業、都市計画コンサルティング事業を展開し活躍を続けています。 高齢化社会への対応が求められる時代にマッチすべく、シニア世代が望む街づくり事業にも取り組みながら、2010年には約72億9,700万円の売り上げを達成しています。
■上野健一氏の著書
人気テレビ番組「マネーの虎」で数々の名言を披露した上野健一氏は、経営者の目線から多くの著書も執筆しています。 幅広い人へのメッセージに溢れた上野健一氏の著書の一部をご紹介します。 ・『理想都』を創るCCZプロジェクト(この画期的新システムで土地が復活する!!) ・ボクはやんちゃな「成り上がり」―4年で100億円企業をつくった28歳社長のやり方 ・積極一貫―人生一回限りだから、やりたいことは全部やる! ・団塊の老後―日本型シニアタウンを創造する企業集団 ・驚異の健康住宅ログハウス―日本人が知らなかった究極の「住い」の発見 ・勝つための非常識のすすめ―あなたの人生と事業を成功に導く密教法則 このように、上野健一氏は、不動産についての本やサラリーマン向けの本、経営者や老後についての本など、幅広い人に向けた書籍を出版しているのです。 上野健一氏について調べると、20代で年商100億という大物実業家としての地位を築き、様々な本も執筆した人物だということが分かります。 「マネーの虎」は現在、放送を終了しておりテレビ番組の中で上野健一氏が活躍する姿を見かけることはほとんどなくなりました。 あの大物経営者・上野健一氏の今の姿を、住職の上野玄津氏と結び付けて考えると違和感もあり、同一人物かどうかは確かに気になる部分と言えるでしょう。
いよいよ真相に迫る!「上野玄津」と「上野健一」は同一人物なのか?
結論から述べると「上野玄津」と「上野健一」は同一人物です。 経営者と住職は全く違う仕事です。 それでも上野健一氏は、現在住職として上野玄津という名前で国際的な活躍をしています。 最後に、上野健一氏が住職になった経緯を見ていきながら、 その真相に迫っていくことにしましょう。
■仕事の合間に真言密教を学び続けた上野健一氏
住職を目指そうと決意した上野健一氏は、仕事の合間に真言密教を学び始めました。 そして、在家の修行者となった上野健一氏は、真言密教の教えを多くの人に知ってもらいたいという強い思いを持ちながら修行を続けていったのです。 修行を続けていたある日、総本金剛峯座主である竹内崇峯大僧正から「実業家として頑張りながら、自分なりの方法で真言密教を学び続けなさい。そして、若い人たちへその教えを広めていきなさい」と諭されるという出来事がありました。 その言葉を糧に修行に励み、28歳の時に玄津という僧名を授かります。 その年に住職として本格的に活動を始めたのですが、100億円企業を作った敏腕社長になったのも同じ年でした。 このことから、経営者と住職という2つの顔を持っていたことになります。 修行の中で精神を磨き続けてきたことがビジネスにも良い影響を与えたのではないかと考えられます。
■住職として幅広い活躍をしている
住職になってからは、洗心不動尊白浜千光寺の創設などの功績を残しています。 チベット仏教ゲルク派のトップにいるダライ・ラマ14世から感謝状をもらったり、伝統のあるアメリカ「国際学士院大学」博士号を拝受したりしていることから、世界的にも認められていることは間違いありません。 経営者だったころからカリスマ性がありましたが、それは現在でも変わっていないようです。 玄津という僧名を授かり、住職になってからも幅広く活躍をしていることから、 「上野健一」と「上野玄津」は間違いなく同一人物です。 経営者から住職へと転身はしていますが、そのカリスマ性は健在で、今までにはない取り組みを行いながら、寺院が身近なものだと感じてもらえるような活動を行っています。 総本金剛峯座主である竹内崇峯大僧正から、「実業家として頑張りながら、自分なりの方法で真言密教を学び続けなさい。そして、若い人たちへその教えを広めていきなさい」と諭されたことがある上野健一氏だからできる活動を行っていると言えるでしょう。 若い人と寺院はなかなか結びつかないことが多いですが、インスタグラムなどのSNSを活かすことによって、身近なものだと感じてもらうための工夫も行っています。 その活動の中で1人でも多くの人に興味を持ってもらいたいという上野健一氏ならではの取り組みで、少しずつその反響は広がっています。
まとめ
南紀白浜にある洗心不動尊白浜千光寺は、インスタ映えスポットがあるお寺として若者からの人気も高まっています。 そのため、女性も多く足を運ぶ寺院となっています。 そんな洗心不動尊白浜千光寺を創設した上野玄津氏は、かつて経営者として活躍した上野健一氏です。 マネーの虎という番組に出演し、出資志願者に対して厳しい意見をぶつけてきました。 その意見は、名言だとも言われています。 『これからの老後はおもしろい―新・田舎暮らしのすすめ』や『団塊の老後―日本型シニアタウンを創造する集団』などの本も出版しているため、その当時から幅広い活躍をしてきたと言えるでしょう。 そんな上野健一氏ですが、21歳の頃から住職への転身を考え、28歳の時に住職として本格的に活動し始めました。 自分自身の経験から祈ることが重要だと感じ、 1人でも多くの人にそれを伝えたいと考えていた上野健一氏は、 洗心不動尊白浜千光寺の創設、ダライ・ラマ14世から感謝状をもらう、 アメリカ「国際学士院大学」博士号の拝受など様々な功績を残しています。 また、多くの人に寺院の魅力を感じ、興味を持ってもらうために、 インスタグラムなどを活用した情報発信も行っています。 今後も上野玄津氏としてさらなる飛躍が期待できるでしょう。
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